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zoom RSS 台湾嘉義農林学校野球部

<<   作成日時 : 2014/01/28 11:09   >>

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今朝、出勤途中の車の中で、NHKラジオ第1、6時15分放送のワールレポートを聞いた。いい話だった。

台湾南部に位置する嘉義県。農業が盛んで台湾先住民が多く住む。1930年代、台湾は日本の統治下にあった。1928年(昭和3年)当時の嘉義農林学校の野球部に一人の日本人コーチがいた。そして、3年後、1931年(昭和6年)監督になった。彼の名は近藤兵太郎(こんどうへいたろう)。愛媛県松山市生まれでかって松山商の野球部監督もされていた。

野球は日本人のスポーツで、台湾人にはなじみが薄かった。近藤監督の熱血指導で鍛えられた嘉義農林学校野球部が、1931年(昭和6年)の第17回春の甲子園に出場した。決勝戦で中京商に0−4で敗れ、準優勝した。レキューラメンバーは、日本人3人、台湾人2人、先住民族4人だった。

この実話をもとに、嘉義農林学校の野球部の活躍を描いた映画が台湾で撮影され今年公開される、という話だった。「球は霊(たま)なり」と教えた近藤兵太郎氏の姿を見たい。80年以上も前の話だが胸を打つ。

注1 台湾の嘉義農林学校の甲子園での活躍について、生前、義父から話を聞いたことを思えている。
注2 また、風しんに病んだ親から生まれた耳が聞こえない「沖縄聾唖学校」の生徒たちが甲子園を目ざして硬式野球の練習に打ち込む姿を描いた「遥かなる甲子園」を思い出す。

ラン日誌 1月27日(月)曇り
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