戦前最後の沖縄県島田叡(しまだあきら)

土曜日、奥武山公園のセルラー球場で高校野球を見ての帰り、モノレール奥武山駅に向かう途中、少年野球場のバックネットの裏に「兵庫・沖縄友好グラウンド」の碑を見つけた。立ち止まって碑文を読んだ。


「スポーツをこよなく愛した島田叡(あきら)知事が青少年の喜ぶ姿を思い描きこの碑を建立する」。この一節に感銘した。故島田知事がこの場に立って青少年たちが野球に高ずる姿を見て微笑む状況が浮かんだ。


島田叡知事は、兵庫県神戸市の出身。19451月官選で沖縄県知に就任された。同年626日(?)、摩文仁の丘で戦禍に散った。43歳だった。米軍の上陸が迫った沖縄に赴く知事はいない。任命を受けたとき、島田氏は「俺は死にたくないから、誰か代わりに行って死んでくれ、とは言えん」と語り死を覚悟で沖縄へ来られた。


県民の食糧の準備、避難と「県民の命」を守るために奔走した。戦時中の知事の誠実と県民への信頼を顕彰して県民の寄付でこの碑が建てられた、と碑文にある。


島田知事は県立兵庫高等学校、東大野球部で活躍したスター選手だった。43歳の若さで散った。沖縄の青少年がボールを追いかける姿をみてあの世できっと喜んでおられることでしょう。この公園グランドは島田叡を絆に結ばれた兵庫と沖縄の友愛の証である。悲惨な話しだけでなく、戦時中の善意の逸話も青少年に語っていきたい。







0

この記事へのコメント