石橋政嗣死の死去と思い出

 石橋政嗣さんが9日亡くなられた。長崎県出身で94歳。元社会党の委員長だった。

復帰前、本土の人から名前の「ナカオジシメイ」の「しめい」の「し」はどう書くの、と電話できかれると石橋政嗣の「嗣」ですと答えた。

石橋政嗣さんとは直接お会いしたことはないが、その名は1960年代の旧日本社会党の政治家として、鈴木茂三郎、浅沼稲次郎、佐々木更三、勝間田清一、江田三郎、飛島田一雄、成田知巳と共に脳裏に残っている。

当時、東京千代田区永田町にある三宅坂(みやけざか)に日本社会党本部があった。皇居のお堀に面した半蔵門から桜田門へつながるゆるやかなの坂だ。復帰後、東京出張の時、三宅坂を走っていると日本社会党本部の看板が目に入った。ここが噂にきく社会党の本陣かと心に刻んだ思いでがある。

石橋さんは、長崎の進駐軍の労働者だった。全中労の佐世保支部書記長になり1955年に衆議院に立候補し初当選し、以来当選12回を数え、社会党の副委員長、委員長にまでなった。

書記長時代に、当時、沖縄の全軍労(軍雇用員労働組合)の委員長だった上原康助さんを引っ張り出し、復帰後の国政選挙で衆議院議員に当選させた。沖縄初の県知事選挙では、成田知巳委員長と共に屋良朝苗さんを応援し当選の先導役になった。

50年以上も前のことだが、お名前をきいくと復帰前後の沖縄社会の状況が目に浮かぶ。ご冥福を祈る。

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