琉球大学開学のころ

522日。琉球大学が開学70周年を迎えた。開学は1950年。その時、ぼくは13歳で沖縄文教学校附属小学校の5年生だった。

現在のうるま市具志川田場の高台の米軍兵舎あとに沖縄文教学校はあった。終戦直後にできた教員養成の学校だった。田場小学校はその附属小学校だった。校舎は米軍が残したかまぼこ型のコンセンのトタン屋根だった。文教学校の若い教生たちがクラスに配置されて教育実習をしていた。

1950年に琉球大学が開学し、文教学校は大学に統合され首里に移った。当時の附属小学校には首里や那覇生まれの子どもたちが多かった。言葉も服も帽子もぼくたち田舎者との差が目立った。名前も佐久本、長嶺、与儀、大山とかで田舎では珍しかった。

特に、ぼくは与儀幸一郎君と親しかった。二人とも野球が大好きだった。芋とか野菜をお家に届けたりもした。彼が首里に引っ越す時は手伝いに行った。

琉球大が開学して、沖縄文教学校附属小学校は田場小学校に校名が変わった。ぼくは附属小学校の最後の卒業生であり、田場小学校の最初の卒業生である。琉大10期生である。琉大と不思議な縁を感じる。




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