夢は努力で開く
中学校で3年生の英語を教えて9か月が経ち、今日が最後の日となった。生徒たちに何を話したらいいかと考えた。
さようならだけは物足りない。話しても生徒が興味を示さなければ意味がない。教室の壁に生徒が書いた標語を見つけた。「夢は努力で開く」。これだと思って、アメリカンの水泳界で活躍した沖縄系3世の親川義信(Yoshinobu Oyakawa)さんの話を短くした。
義信がオハヨ大学2年生のとき全米大学水泳選手権の背泳ぎ100㍍で優勝、同年の全米水泳選手権兼オリンピック派遣選手選考会で優勝。1952年のストックホルムオリンピックの背泳ぎ100㍍で金メダル、世界新記録を樹立、4年後の1956年のオーストラリアメルボルンオリンピックのアメリカ水泳チームの主将として出場した。引退後は大学の水泳コーチとして名をあげ、国際水泳殿堂入りを果した。
義信はハワイ州、ハワイ島の田舎で生れ、小・中・高校までそこで育った。祖父は旧羽地村川上からハワイにきた農業移民。得意な水泳を続けるためオハヨ州立大学に進学した。アメリカNo1を目指して水泳の練習に打ち込んだ。その努力が花開いたのです。
私は思った。
「人の一生は、どこで生れ、どこで育ち、どこの学校を出たかで決まるものではない。いかに努力したかで決まるのである」頭の片すみに留めてほしい。Good by!
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