首里城跡に琉球大学があった頃
正月3日、新春の首里城を拝みにいった。首里石嶺から歩いて約30分、3㎞程の距離を歩いた。
戦後、首里城跡に琉球大学が開学したのは1950年2月。1972年に現在の西原の地に移転するまで、27年間、琉球大学は首里城跡にあった。私は1957年に入学し1961年まで4年間、学んだ。本館前に米軍が使用したガスボンベが吊るされ、それを打って授業の始まり、終わりを告げていた。
入学して2年間は当蔵町で民家の軒下をかりて寝泊まりした。トイレも洗面所もない。朝の洗面は男子寮でした。3食の食事も寮の食堂でした。2年と3年は寮に入った。1室6人だった。
寮の途中に大学食堂がった。夜8時ごろお腹がすくと焼きそばを食べた。建物の面影は今も残っている。男子寮は現在芸術大学に変っている。
芸大図書館前の幅の狭い空き地を通って出ると昔の琉大グラウンドの跡がある。400トラックグラウンドだったがいます200トラックになっている。野球もした。石段式の観覧席もあった。夕日が沈むころ2人で肩を並べて座ったこともある。
瑞泉門に向かう坂道が忘れられない。右側には龍桶(りゅうひ・龍の口から湧き水が出る)がある。斜面を削っただけの上り道だった。雨降りのときは飛び出た石を踏んで校庭に出た。登校、昼食、下校時に行き来の道だった。
つい、63年前の映像を再生してしまった。「伸びる若者は過去を語らず」。私の好きな言葉である。もう録画をみるのは終わりにしょう。ライブで行く。
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